私事ですが、今年の1月に会社を辞めました。
今回は、その判断に至るまでの経緯と、ぼくのこれからについてお話しさせていただきます。
5年間続けた研究職を辞め、IT企業に転職した
ぼくは、フリーで稼げるプログラマーになるため、5年間続けた研究職を辞めました。
そして、IT企業に転職し、プログラミングスキルを磨くために修行をすることにしたのです。
プログラマーになると決めた理由
プログラマーになると決めた理由は、どこでも場所を選ばず仕事ができるからです。
ぼくは家庭の事情により、将来は沖縄に生活拠点を移そうと考えています。
しかし、沖縄は仕事がそれほど多くはありません。
そのため、どこでも仕事ができるプログラマーになろうと決めたのです。
生活拠点を沖縄に移そうと思ったきっかけ
この部分を読むと、おそらく嫌な思いをされるかと思います。
ですが、仕事を辞めることになったきっかけについても書かせていただきます。すいません。
ぼくの父は自殺しました。
このことがあってから母の精神状態が心配になり、できるだけ一緒にいる時間を作りたいと考え、沖縄に戻ろうと決めたのです。
しかし前述した通り、沖縄には選べる仕事が少ないという問題があります。
それはもちろん、研究職も例外ではありませんでした。
沖縄で研究者を続けるのは難しい
ぼくは社会人になって5年間、ずっと研究者として働いてきました。
そのため、沖縄でも継続して研究者として働きたいと考えたのです。
しかし、いくら求人を探しても、沖縄では研究職の募集はほとんどありませんでした。
もちろん、全くのゼロだったというわけではありません。
ただ、その求人のほとんどは「沖縄科学技術大学院大学(以下、OIST)の研究スタッフ」という、内容だったのです。
このOISTという研究機関は、スタッフに要求されるレベルもかなり高く、そこで働くことができるのは本当に優れた研究者だけです。
そこでは、ビジネスレベルの英会話はできて当前で、むしろそれが最低ラインとされています。
それに対し、ぼくは頭が悪いので、英語力は日常会話をするのがやっと。
そのぼくにとって、ビジネスレベルの英会話力を短期間で身につけるのは、かなり難易度が高いと感じました。
しかし、それでもまだ、英語力だけが足りないのであれば頑張って勉強すればなんとかなります。
ですが、問題はそれだけではありませんでした。
OISTでは、英語力に加え、過去の研究成果や教授からの推薦状まで必要とされていたのです。
そのため、ぼくの実力や過去の実績を考えると、今その求人に挑戦するのは現実的な戦略ではないと感じました。
だから、まずは「個人でお金を稼ぐ力を身につけよう」と考えたのです。
会社に依存せず自分の力だけでお金を稼げるようになれば、そのお金を学費に充てることもできます。
そうすれば、収入を得ながら大学院に通えるため、いくらでも実力をつけることが可能になるでしょう。
そして、大学院で研究者としての実績を積むことができれば、将来的にはOISTで働くこともできるはずです。
もしかしたら、独立すら可能になるかもしれません。
そのため、ぼくは次に「個人でお金を稼ぐことができる仕事」を探すことにしたのです。
候補に挙げた仕事
ぼくが、個人でお金を稼げるようになるための手段として、候補に挙げた仕事は2つありました。
1. 士業
士業は、ぼくが最初に考えた選択肢です。
その理由は、資格を取れさえすれば、自分のスキルを売りにしてどこでも場所を選ばず稼げるようになるからです。(もちろん営業努力は必要ですが)
しかし、ぼくはどうしても士業をやりたいとは思えませんでした。
なぜなら、書類作成や手続き代行などといった事務作業がめちゃくちゃ苦手だからです。
「どうせ再スタートするなら、心からやりたいと思える仕事をしたい。」
そう思い、士業に挑戦するのは辞めました。
2. Webプログラマー
士業の次に候補に挙がったのが、Webプログラマーです。
これは本当に偶然なのですが、沖縄の求人を読み漁っていた時、なぜかふと今まで全く目を向けたことがなかった分野の求人を探し始めました。
そこで、ぼくの目に留まったのがWebプログラマーだったのです。
ぼくはもともと美術が好きで、特に絵を描いたりするのが好きです。
だから、グラフィックやプログラミング言語を駆使し、オシャレでカッコイイサイトを作ることができるWebプログラマーの仕事に強い興味を持ちました。
それにWebプログラマーであれば、パソコン1つとネット環境さえあれば、いつでもどこでも仕事ができます。
このメリットも、仕事の少ない沖縄という環境にはとても向いていると感じました。
そして、その求人を見つけてから、プログラミングがもつ無限の可能性にどんどん魅了されていったのです。
フリーで稼げるプログラマーになると決めた
色々と働き方を調べる中で、沖縄でも「プログラマー」という魅力的な選択肢があることを知りました。
そして、デザインからコーディングまで幅広くこなすことができる「フリーで稼げるプログラマー」になろうと決めたのです。
確かに、これまで全く「プログラミング」という技術に触れたことはなく、年齢が29歳ということもあり、新たな挑戦に多少の不安はありました。
しかし、そのリスクを前にしても、ぼくは「どうしてもこの仕事に挑戦したい」と思うようになっていたのです。
そのため、努力してフリーでも稼げるくらいレベルの高いスキルを身につけようと考えました。
ただ、現実的な話として、短期間で簡単にプログラミングをマスターできるかといえば、ぼくは全くそうは思えませんでした。
なぜなら、フリーで稼げるプログラマーになるためには、最低でも1年以上の実務経験が必要だからです。
そのため、しっかりとしたプログラミングスキルを身につけるまでは、他の方法で収入源を確保した方がいいと考えました。
なので、次にぼくはプログラミングスキル以外で「比較的簡単に個人でお金を稼ぐ手段」がないかを調べることにしたのです。
ネットショップ、転売、webライター、データ入力、、、、、。
色々と手段を探したのですが、その中でただ1つだけ、興味の持てるものが見つかりました。
ブログで収入源を確保しようと考えた
様々な手段の中で、ぼくが最も楽しそうだと感じたのが「ブログ」でした。
自分が大切にしている価値観や、好きなことに関して情報発信すれば収入が得られる。
それがブログの大きな魅力です。
「これだったら、場所も時間も選ばず、楽しみながら個人でお金を稼ぐことができる!プログラマーのメリットと同じだ!」
そう考え、ぼくはプログラミング学習と並行しながら「ブログで稼ぐ」にも挑戦することにしたのです。
それが2016年3月のことでした。
そして、そこからぼくのブロガー人生が始まったのです。
研究職・プログラミング学習・ブログ運営の同時並行
新しいことに挑戦するとあって、最初はウキウキしながらブログを始めました。
しかし、本業の研究職をこなし、プログラミング学習をしながらブログで稼ぐのは、ぼくの想像以上に難しい事だったのです。
収入が全く上がらない3ヶ月間
最初は楽しかったブログ運営ですが、時間が経つにれ、それがだんだんと悩みの種になりました。
というのも、ブログを始めて3ヶ月、収入は月に5000円にもならなかったからです。
そんなぼくとは対照的に、同じ時期にブログを始めた仲間はどんどん成長していき、中には簡単に10万以上の収益を出す方もいました。
「自分にはお金を稼ぐセンスがない」
そう思い、何度も何度も落ち込み、悲しくなったのを覚えています。
プログラミングスクールに通い始めた
ブログ運営で頭を悩ませる中、ぼくはプログラミングスキルを身につけるため、5月から1ヶ月集中型のスクールにも通い始めました。
そしてさらに、そのプログラミング学習でも頭を悩ませる事になったのです。
なぜならぼくは全くの未経験者。
プログラミングなんて、大学生時代もほとんどやったことはありません。
情報の授業はもれなく、デキる人のコードをUSBにコピーして、課題を提出していたくらいです。
その程度の人間がプログラミングに挑戦したのですから、頭を悩ませるのは当然ですよね。
勉強し始めて最初の頃は、基本的なコードを理解するだけで本当に時間がかかり、練習問題も答えを見ないとほとんどわからない状態でした。
研究職・プログラミング学習・ブログ運営の同時並行は思った以上に辛かった
プログラミングスクールに通い始めてから、ぼくはさらに精神的に追い込まれるようになりました。
プログラミング学習は思うように進まず、ブログ収益は上がらない。
そのため、自身の人生設計に疑問を持ち始め、収入面でも大きな不安を感じるようになったのです。
そして、その悩みが原因で本業の研究職にも全く身が入らなくなるという悪循環が起きました。
今思えば、この時期がぼくの社会人生活の中でも一番辛い時期だったのではないかと思います。
「なんとかしなければダメだ」
そう思い、ぼくは思い切って改善策を立てることにしました。
ブログを捨て、プログラミング学習に集中した
「捨てる」と言えば大げさですが、ぼくはスクールに通い始めてから、ブログの更新を一旦辞めることにしました。
そしてまずは、プログラミングに集中して成果を出すことに決めたのです。
それからは、仕事以外の時間は全てプログラミング学習に充てました。
昼ごはんも食べず勉強した
プログラミング学習に集中すると決めてから、ぼくは会社の方々と一緒にお昼ご飯を食べるのもやめました。
そして、その1時間を丸々プログラミング学習に使うようにしたのです。
もちろん、出勤前や帰宅後も、そして休日も、できる限り全ての時間をプログラミング学習に充てました。
そのくらいじゃないと、理解の遅いぼくが人よりも速いスピードで学習を進めるのは無理だったからです。
途中、何度も挫折しかけながら、それでも何とか自分を奮い立たせ学習に励みました。
そして、気がつけば1ヶ月の受講期間が終了していました。
スクールのエバンジェリストに選ばれた
プログラミング学習に無我夢中で取り組んだ結果、ぼくはカリキュラムの進捗具合が認められ、「エバンジェリスト」に選ばれました。
エバンジェリストとは、「スクールの普及活動に協力する」という役割を与えられた人のことです。
お話をお聞きした限りでは、5000人以上いる卒業生の中でも特に優秀な人にしかその役割は与えられないということでした。
なので、それに選ばれた時は本当に心から嬉しかったです。
これまでの努力が報われた瞬間でした。
再度、ブログ運営に力を入れた
プログラミングスクールでの受講が終わった6月、ぼくは再度、ブログ運営で成果を出そうと一生懸命試行錯誤しました。
それでも、3ヶ月間はそれほど収益が上がらず、月に大体3〜5万円の間をうろうろしていたのです。
そのため、ぼくは改めてブログ運営の姿勢を見直し、大きく分けて3つの改善策を実施することにしました。
1. 他の人のブログを研究するようにした
ブログを始めてから半年間、ぼくはほとんど他の方のブログを読みませんでした。
なぜなら、自分が記事を更新することに一生懸命になっていたからです。
「数をこなせば何とかなる」
そういう単純思考に陥っていました。
しかし、その戦略をとっても、中々成果が出ないことにだんだんと気がつき始めました。
それからやっと、稼いでいるブロガーの方々の記事を研究するようになったのです。
これはもっと早くから始めれば良かったと、本当に後悔しています。
研究ができない研究者なんて、本当に笑いものですよね。笑
2. ブログテーマをプログラミング一本に絞った
プログラミングを学習し始める前まで、ぼくは何でもかんでも気になったことがあれば記事に書いていました。
そのため、内容に全く一貫性がなく、何がやりたいのかよくわからないブログになっていたのです。
そういうブログだと説得力が生まれないため、なかなか収益は上がりません。
なので、取り扱うテーマを「プログラミング」に絞りました。(たまに関係ない記事書いてますが)
3. ブログのデザインにこだわった
ブログ運営当初から、ぼくはブログデザインの重要性をあまり意識していませんでした。
「大切なのは見た目よりも中身だ」
ずっとそう思っていたのですが、それは読んで下さる方々への配慮に欠けた考えだということに気がつきました。
そしてそもそも、ぼくはそこまで中身のある記事を書くことができません。
なぜならぼくは、過去に学業や部活で素晴らしい成果を残してきたわけでもないし、特にビジネスマンとしても優れたものは持っていないからです。
こんなぼくがブログのデザインまで適当に考えていたら、稼げないのは当然ですよね。
そのことに気づいてからは、ブログのデザインにも徹底的にこだわるようにしました。
IT企業への転職活動を始めた
ブログに対する姿勢を見直し、しばらく運営を続けた後、ぼくは11月にプログラマーになるため転職活動を始めました。
この転職活動に関しては、プログラミング学習やブログ運営とは違い、びっくりするほどうまくいきました。笑
色々と転職サイトにも登録したのですが、なんと1社目の面接で内定をいただくことができたのです。
地道にプログラミング学習をしてきて本当に良かったと感じた瞬間でした。
エンジニア研修が始まった
転職が決まった11月から、今までとは違ったプログラミング言語での研修が始まりました。
これがまた思った以上に難しく、ぼくは再びプログラミング学習で頭を悩ませることになったのです。笑
そして再度、研究・プログラミング学習・ブログ運営を同時並行する生活を送ることになりました。
特にプログラミング学習は理解できない部分が多かったので、それがまた大きなストレスになっていました。
しかし、自分の頭の悪さに呆れながらも、なんとかコツコツと学習を進めていったのです。
年末に予想外なことが起きた
思った以上にハードルが高いプログラミング研修に追われる中、12月に予想外の出来事が起こりました。
なんと、いつの間にかブログの収益が11万に伸びていたのです。
ブログ運営を本格的に見直し始めたのが9月。
それが、ここにきてようやく効果を発揮し始めたのです。
その時は、研修で暗く沈んでいた心が嘘のように、とても明るい気持ちになったのを覚えています。
これまでの苦悩が一気に報われた瞬間でした。
そして、その次の月には収益が15万になり、10万越えがまぐれではなかったことを証明できたのです。
↓ブログ収益の推移
会社を退職した
ブログが過去最高収益を記録した1月、ぼくは会社を退職することになりました。
ぼくがプログラマーになると決めたのがちょうど1年前。
その時は、バイトができるくらいのプログラミングスキルが身につき、ブログ収益は5万円くらいあれば良いと思っていました。
しかし、夢中で走り続けた結果、今ではIT企業への転職が決まり、ブログ収益は15万になっていたのです。
最終的には、自分が想像していたよりも遥かにいい結果を残すことができました。
この結果に関しては本当に満足していますし、実際とても嬉しかったです。
しばらくは、その余韻に浸っていました。
しかし、退職する日が近づくにつれ、ぼくは職場の方々に強い罪悪感を感じるようになったのです。
堂々と副業をしていた
ぼくは、自分の収入源を確保するため、堂々とブログをやっていました。
そして、それは職場の上司にもバレていました。
もちろん多少の罪悪感はありました。
しかし、それでもぼくはそれを隠そうとせず、ブログを続けてきたのです。
副業自体は決して悪いことだとは思っていませんが、就業規則を破っていたのは事実でした。
本業がおろそかになった
プログラミング学習とブログ運営に頭を悩ませるあまり、ぼくは本業の研究がおろそかになっていました。
デスクワークをしていても、実験をしていても、何をしていても気がつけばプログラミングやブログのことばかり考えていました。
正直、気持ちを切り替えることが全然できていなかったのです。
これは、社会人として本当に失格な姿勢でした。
気づけば孤独になっていた
副業をしている罪悪感と、それでも「副業に口を出されたくない、自分の好きなようにやりたい」というあまりにも自己中心的な考えから、ぼくはどんどん会社の方々と距離を置くようになりました。
誰とも食事をとることなく、仕事以外で話すこともなく、ほとんど笑顔を見せることもなく、いつの間にかどうコミュニケーションをとっていいのかすらわからなくなっていたのです。
そしておかしなことに、「この状態が普通だ」と思うようになっていました。
その結果、職場での人間関係に対する考え方は、完全に普通ではなくなっていたのです。
「誰を敵に回してもいい。陰口を言われようが、いくら避けられようが気にしない。俺は俺のやりたいようにやる。」
当たり前のように、本心でこんなことを考えるようになっていました。
職場の方々は特に口を出すこともなかったのに、ぼくは一人で勝手に孤独になっていたのです。
今思い出しても、ものすごくイタい人間だったなと感じています。
それでも会社の方々は送別会を開いてくださった
ぼくは退職間際まで、ずっと会社の方々を避けてきました。
だから、「きっと送別会はないだろう」と、そう思っていました。
どう考えても、こんな自分のために送別会を開くメリットがわからなかったのです。
だから何の期待もせず、退職まで淡々と仕事をやって辞めるつもりでした。
ところが信じられないことに、会社の方々はぼくのために送別会を開いてくださったのです。
当日は、今までの自分の姿勢を思い出し、感謝と罪悪感でいっぱいになりした。
今まで最悪な態度で働いてきた自分が、まさかこんな形で送り出されるとは思ってもいませんでした。
↓会社の方々から頂いた花と、同期から頂いた万年筆
恩を忘れず生きていこうと決めた
これから先、ぼくに何が恩返しできるかはわかりません。
ですが、とにかくこれから、元の職場へ恩返しをしていこうと決めました。
今の所、ぼくが考えているのは以下の項目です。
- 研究系のメディアを立ち上げ、そこでつながった優秀な理系人材を会社へ紹介する
- プログラミングスキルを身につけ、集客面で貢献する
以上のことを実現させるためにも、ぼくはこれからもっと実力をつけます。
そして、必ず恩返しをします。
ただ、入社当初から関わっていたプロジェクトを完了させることができたので、それが少しは恩返しになったのかなと考えています。
これに慢心せず、今後も引き続き恩返しを頑張ります。
これからプログラマーとしての本当の修業がはじまる
結果として、IT企業への転職を果たせたわけですが、それはスタートラインに立っただけにすぎません。
本当の修行はこれから始まります。
ただ単にコードを書いて楽しんでいたこれまでとは違い、これからは「仕事」という責任を負うことになるわけです。
前の職場で自分の好き勝手にやってきた考えの甘いぼくが、「本当にプログラマーとして活躍することができるのか?」と考えると、それはもちろん不安があります。
でも、そんな甘ったれた自分の根性を叩き直すためにも、これから真面目に一生懸命努力して、もっともっと高いレベルを目指していこうと思います。
今後のぼくが目指す夢
ぼくはこれから、大きく分けて5つの夢を叶えるために努力していきます。
1. フリーで稼げるプログラマーになる
ぼくは以前、こういう目標を掲げました。
結果的には、高額スクールに通うことなく、予定よりも短い期間で転職を成功させることができました。
あとは、ひたすらプログラミングスキルを向上させ、年末までに50万を稼げるようになるだけです。
これはなんとしても達成したいなぁ。
2. ITの力で沖縄に仕事を増やす
ぼくは、
「仕事の少ない地方こそ、ITに強くなるべきだ」
と考えています。
ただ、そうは言ってもまだまだそれを沖縄で実行している方は多くありません。
なので、ぼくが地方に新しい仕事を生み出せるようにします。
そして、
「こういう働き方もあるんだよ」
ということを地元の高校生や大学生に示せるようにします。
3. 自分の研究所を建てる
もう一度大学院に通いなおした後、ぼくは好きなことを好きなように研究できる、自分の研究所を沖縄に建てます。
そこでやろうとしているのは、以下の研究です。
- 難病治療
- 人工知能
ぼくは現在、難病患者の方にブログコンサルをしています。
そのことがきっかけで、治療法の確立に興味を持つようになりました。
難病は患者数が少ないため、治療法を確立しても研究費に見合うほどのお金を回収することができません。
そのため、あまり研究費が投入されず、その分、治療法の確立も遅れているのです。
このことから、難病治療に関しては、資金力のある研究者が取り組むことが重要であると感じました。
その点、ぼくがプログラミングやブログであげた収益を研究費に回すことができれば、研究でお金を稼ぐ必要も無くなります。
だから収益性を気にせず、難病治療の研究に取り組むことができるのです。
また、人工知能の研究に関しては、生物系や化学系の研究スピードを加速させるようなものを開発しようと考えています。
それができれば、もっともっと効率よく研究を進められるようになるはずです。
自分が開発したものが、多くの研究者の役に立ったら嬉しいですね。
4. 地方に住みこみでプログラミングやブログ運営を教える
ぼくと同じように、やりたい・できる仕事がなくて収入に困っている人は、地方にはたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
将来は、そういう人のために、定期的に地方に住みこみでプログラミングやブログ運営を教えて回ります。
そして、ITに強い人材を地方にどんどん増やしていきます。
そうすれば、家庭の事情や身体的な問題により、地方でしか仕事ができない人も、もっとやりたい仕事ができるはずです。
5. 母親に恩返しをする
これまで、ぼくが大学や大学院に行けたのも、希望していた研究職に就けたのも、すべては母親が金銭面でやりくりしてくれたおかげです。
ぼくは4人兄弟なので、その養育費は決して安くはありません。
きっと母は、お金をやりくりするために相当頭を悩ませてきたはずです。
今はまだ、そのご恩を全くお返しすることができていないので、これからもっともっと稼いで母親に恩返ししていきます。
まずは、色んなところに旅行に連れて行ってあげたいですね。
頑張ろう。
以上がぼくの将来の夢です。
これらをきちんと実現させるためにも、まずは目の前の課題から一つ一つクリアしていきます。
今後もよろしくお願いします
というわけで、ぼくはフリーで稼げるプログラマーになるため、5年間続けた研究職を辞めました。
まだまだ精神的に甘く、お金を稼ぐ能力も本当に低いです。
なので、これから人生の新しいスタートを切るとともに、精神面でも実力面でもさらに自分を磨いていきます。
そして将来的には、一人の人間として、胸を張って自分の人生を誇れるようにします。
まだまだこれからやるべきことはたくさんありますが、それを楽しみながら歩みを進めていきます。
その過程は、これからもブログを通して発信していきますので、もし良かったらお暇な時にでも覗いていただけると嬉しいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今後も宜しくお願いいたします。(^_^)